長らく放置していたブログですが、ふと書きたくなったので、ちょっとだけ書いてみます。
今、季節は爽やかな薫風の季節ですが、世間は新型コロナウィルスのために自粛を強いられています。
今回なぜここまでの大騒動になってしまったのだろう?
ウィルスそのものの感染よりも早くあっという間に世界中に感染が広まってしまったのは恐怖心という感情でした。
恐怖という感情に基づいてものを考え行動すると、どんどんネガティブ・スパイラルに入ってしまいます。
人の恐怖の根源は「死に対する恐怖」ではないかと思います。
現代医学にとって死は敵。
死と必死に戦っている。
でも、悲しいかな、勝率はゼロ・パーセントです。
どんなに死を排除しようと戦っても、人はいつか必ず死にます。
「今日死ねば、明日は死ぬ心配をしなくて済む」と言ったのはシェークスピアだったかな?
ペストがヨーロッパに蔓延した時、「メメントモリ(死を想え)」という言葉が生まれたらしい。
人はいつか必ず死にます。
いつか死ぬことを前提にどう生きたらいいかを考えることが大切だと思っています。
私は小さい頃から死について考えきました。
そして、今ではいかに自分の死をスムーズに通過させることができるか、が一番大きな課題のような気がしています。
今では、死ぬことと、生まれることは同じことだと思っています。
赤ちゃんがお母さんの参道を通ってこの世にやってくるときは、きっと死ぬような恐怖と苦しみを通り抜けてきたのではないかと。
そして人が一生を終えて死にゆく時は、魂が別次元への参道を通っているようなものだろうと。
そして、息を引き取った時、魂は「ハッ!」と目が覚めて、人生という夢を見ていたことに気づくのではないかと。
人はいつか必ず死ぬ。
でも、本当は死んでも死なない。
究極的にあるのは始まりも終わりもない意識そのものなのだろうな、と思っています。
ただ、私はそれを体験的に悟ったわけではないから、今のところはただの知識です。
いのちとはそういうものなのだろうなぁという考えを採用しています。
日々、どんな時も心穏やかに幸せでいたいものです。