昨日、5年9ヶ月にわたって非常勤で勤めた職場を卒業しました。
興味の赴くままに心と体のことを勉強して、大した資格もないまま自宅サロンを始めて数年経った頃、自分が得た有益な知識をもっと大勢の人に届けたいと思い、ある程度世間で通用する資格を取って医療機関などで働きたいと思い始めました。
それで精神保健福祉士の資格を取り、医療機関に潜り込めば、そのうち心理カウンセリングの仕事をさせて頂くことができるかも、と思って、ほぼその通りになりました。
そこでは身体に触れることはできないし、スピ用語なんてご法度。
特別なことはせずに普通に、フツ~にカウンセリングに専念してきました。
でも、私は一番肝心なのはクライアントさん自身のより良く生きたいというモチベーションであり、カウンセラーは何か技法を使うdoingよりもbeingが何より大切で、とにかくクライアントさんの力を信じて、なるべく邪魔をしないでその場をホールドすることだと信じているので、フツ~のカウンセリングでも十分だと思ってやってきました。
でもやはり最初の頃は自分の実力を雇い主に認めてもらいたい思いが強かったり、自信がない部分もあって、不安になったりしたこともありました。
5年勤めて、やっとなんとなく自信もついたかな。
そして、思うことは、やっぱり医療とか福祉とかいう枠組みの中では限界があるなぁということです。
今では、私が学校で教わった知識やTVやマスコミで報道されているいわゆる「常識」は全然真実ではないと思っています。
思考の捉われに気づいて、複数で多次元の視点を持つようになってくると、この世の教育とはほぼ全てが洗脳だと言ってもいいと思うようになりました。
優等生だった人、高学歴の人、医学を学んだ人などは最も洗脳が濃い。
まあでも、教育とは、私たちがこの地球ゲームに参加するためのルールを学ぶわけだから意味はあること。
ちゃんとルールを学んでゲームに参加して、ひとしきり楽しんだらゲーム・オーバーしてもいい。
守破離という言葉があります。
守破離とは、茶道や剣道などの芸道・芸術で、修業における段階を示したもの。
「守」は、師や流派の教え・型・技を忠実に守り、確実に身につける段階。
「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。
「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。
人生そのものにも守破離があるなぁと思っています。
それも、なんどもなんども守破離を繰り返していくのかもしれない。
それを繰り返すうちに無限大の意識になっていくのでしょう。
さあ、これからはもっと自由に、過激に、妖しく、自分の道を切り開いていきたいと思ってます。
Facebookでつながっている人達は私なんかよりもずっと先を歩んでいる人ばかりだから、FB上ではあまり書くことがなかったのだけど、このブログは一般の様々な方がアクセスされるので、そういう方々には刺激的な内容と思えるようなことも少しずつ書いていこうかなと思っています。
これからもどうぞよろしくお願いします。